ふもぱんの読書カード

読んだ本の引用+コメント集積所

「学ぶ」は「真似る」。松浦弥太郎『センス入門』

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繰り返し読む確率の高い、松浦弥太郎さんの本です。

何かと筆写することも多く、引用を始めると長くなってしまうのですが、なんとか抑え気味にして記録を。

(1)P.60

失敗することが大切

失敗の経験というのはとても重要で、失敗がないといいものはわからないのです。いるも失敗しないで「当たり」ばかりが続くと、人間というのは、それがふつうになってしまいます。

そうなると「当たり」に感動しなくなってしまうのです。

(中略)

たとえば、人に道順を聞いて行ってみたけれど、実際はそれがとても遠まわりだったとしましょう。けれども、その経験があるから、近道を知ったとき、これは近くて便利だと、ちょっと感動するでしょう。最初から近道を知っているのは、いわゆる「当たり」なのですが、この感動は得られなかったことになります。だから、失敗をたくさんしている人はセンスがいい人だと僕ははっきり断言できます。

普段、何かと「当たり」を求めて本やインターネットで調べることが多いだけに、はっとする内容でした。クチコミやランキングの類はもっと残念だということも書かれおり、飲食店探しで覚えがあり過ぎて、痛いところを突かれた思いです。

 

例えば、食べログの情報はたしかに参考になるのですが、どこの誰かもわからない人が書いたレビューは、決定打に欠けるものがあるなと感じていました。結局、信頼している人の推薦に頼るし、それが「外れ」だったとしても、まぁいいか、と思えます。話のタネにできますし。(ここだけの話、この人のセンスはいいなと思うと、その人のチェックイン情報を調べて参考にすることがあります。恐いですね。)

 

失敗というのは、たしかに残念ではありますが、記憶に残るし、変な発見がともなうこともあります。

 

いつか、道を歩いていてふと見つけた喫茶店に入ってみたら、「嗚呼、ちょっと微妙かも。」と思ったことがあります。むーん、と思いつつ珈琲をすすり、店内を観察していると「インターネットできます。」というWORDでつくられたであろう黄ばんだチラシ。その近くには旧式のノートPCが鎮座していました。インターネットできるってこういうことなのか!と軽い衝撃でした。こういうネタが見つかって、このお店はある意味でいいかも、と思えたのでした。

 

失敗したら失敗したで、その経験をたのしめるようになるといいですね。そもそも酷いところを知らないと、素晴らしいところもわかりません。

「いい」というクチコミで「当たり」を続けていると、自分で心から感動することができなくなってしまいます。それは発見ではなくて、確認という作業になってしまうのです。

 

(2)P.85

一事が万事

「一事が万事」というのは、ふだんはネガティブなニュアンスで、「君はここができないから、全部だめなんだよ」というふうに使われています。同じ意味なら「小事が大事」というほうがことわざらしいのですが、一事や小事という一時的なささいな事柄を大切に思えるか思えないか、ということは大きなことだと思います。

(中略)

先のことを優先させないで、目の前のことをいつもこつこつと一生懸命やる、という意味もあります。たしかに、いろいろな不安感を取りのぞくためにはこれがいちばんだと思っているのですが、先のことを心配するあまり、結局今は何もしないというのがいちばん不安が増すことです。

先のことを心配してあれこれ考えるあまり、今がおろそかになってしまう。このことはどこか記憶にあるものでした。

 

nowhere(どこでもない)

now here(今、ここ)

 

テレビでふと見かけたのですが、nowhereというつづりはnowとhereという2つのワードにわけられます。一瞬見かけただけで、どういう文脈で出ていたのかわかりませんが、「今、ここ」を生きないと、どこにもいけないのだよ、というメッセージなのかなと感じました(私の勝手な解釈です)。一瞬だけだったわりに、記憶に刻まれています。

暮しの手帖」はどうやってつくっているのですか?

じつは僕は、雑誌をどうやってくるとか、コンセプトとか、その手のことにこだわりがありません。たくさんの人と共有するべき、大切な目的意識はいくつかありますが、今日の自分は、目の前にある仕事でいっぱいいっぱいで、客観的に考え方をまとめるとか、コンセプトや理念を整理している暇なんてありません。(中略)ものづくりというのは、そういうライブ感があって、今日の自分が思ったことを信じるほかないのでしょう。

それをある人に話したら、その人は正しいと言ってくれたのですが、さらに、こうであるべきということを整理し始めたらおしまいだよね、と言われました。

福岡伸一さんの「動的平衡」を想起しました。

間断なく、流れながら、精妙なバランスを保つもの。絶え間なく、壊すこと以外に、そして常に作り直すこと以外に、損なわれないようにする方法はない。生命は、そのようなありかたとふるまいかたを選びとった。それが動的平衡である。

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

いきなり生命科学の話に飛んでしまいましたが、某メルマガでは、上記の引用から方丈記の無常観が引用されました。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

方丈記 (岩波文庫)

方丈記 (岩波文庫)

人間の細胞は一定期間ですべて入れ替わると言われますし、生き物としての人間は、本来川の流れのようなものなのかもしれません。自分はこうあるべき、と固めることは、どこかでよどみを生む原因になりそうです。川の流れに逆らわず、うまく舵をきっていく。そんなイメージがうまく生きていくコツなのではないかと思いました。

 

ただ、私は目の前のことに必至になるあまり、自分がどこに向かっているのかよくわからなくなったことがあります。流れの乗り方、舵のきり方は、定期的に常に考えるべきですね。うっかりすると護岸にぶつかってケガをしますゆえ。

 

(3)

P.116

(センスがいいと)思える人がいたら、すぐにでも真似をするべきです。真似してみると、また違う発見があるものです。センスを磨くとは、それの繰り返しです。

P.122

本に限らず、理屈抜きで、自分は本当に「この人のセンスがいいな」と思ったら、その人が何を見ていたか、何を読んでいたか、何を聴いていたか、それをよくよく調べてみるというのは大切だと思います。

P.124

ふだんから素敵なもの、美しいものを好奇心を持って見つけて、よく触れて、真似てみる――それしかセンスのよくなる方法はありません。

ポイントは、それを死んでも忘れないくらい、しっかり頭にたたき込んでおくことです。紙に書いたり、ノートにしたり、ともかく、頭のなかに針で書き込むくらいの気持ちです。これは絶対に忘れてはいけない、と。

「学ぶ」は「真似る」からきているとも言われます。守破離で言う「守」も、ひたすら「真似る」、型を覚えることから始まります。あとがきにさりげなく書かれていましたが、著者は志賀直哉の『暗夜行路』を全部筆写したそうで、さすがに驚きを隠せませんでした…。大学時代に所属した文芸評論家の先生も、名文は筆写して、文のリズムを感じるべし、とおっしゃっておりました。

暗夜行路 (新潮文庫)

暗夜行路 (新潮文庫)

 

真似る対象は、自分が本当によいと思った人やもの。それがなくても、世に一流とされている人やものを参考にするのもよいのでしょう。それも、できるだけ「生」であることが大切。

 

ちなみに著者の経験からおすすめできるのは、「重要文化財を見てまわること」「プライベートミュージアム(私立美術館)に行くこと」とありました。ここは具体的に書いかれており、東京では以下があげられていました。

なるほど、趣味が合う…とか言ってみる。旧朝倉家住宅、旧安田庭園は気になっていながら行ったことがありませんでした。この機に足を運んでみたいところです。

 

文化財を検索してみたところ、東京都は東京都指定文化財情報データベースなるものがありました。網羅はされていないようですが、Wikipediaにも都道府県指定文化財一覧が。これは一生かかっても終わらない宿題ですね。いや、これがあれば生きているうちはたのしめそうですね。長生きせねば。

 

センスがある人に学ぶ、という点で、私にとっては本書自体が学びの対象です。松浦弥太郎さんのセンスは、どこかひかれるものがあります。その松浦さんが、志賀直哉研究をされていたと知ったので、私も少しかじってみようと思った次第。 

センス入門

センス入門